本日の読書会に向け「〈叱る依存〉がとまらない」を読み直しました。再び読んでも、やはり腑に落ちるポイントが多々あります。気になったところをまとめてみました。
●そもそも「叱る」のは?
著書は「言葉を用いてネガティブな感情体験を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為」と定義している。つまり、他者をコントロールしようとする行為。
●人はなぜ叱るのか?
人は生来的に「人に罰を与えたい」という欲求をもっている。そして、相手を自分の思う「あるべき姿」にするため、叱る。そうすることで自分の充足感を満たす。相手のためではなく、自分のための行為。また、叱る行為は即効性はあるが、少しずつ効果は薄れる。そのため、叱り続けるという負のスパイラルに突入してしまうことも…。
●「叱る」はなぜ効果が薄い?
叱られた人は防御システムが起動し、学びや成長を支えるメカニズムどころか、知的な活動に重要な前頭前野の活動を大きく低下させる。「どうしたらこの苦痛を回避できるのか」を学習してしまう。「叱られた」という記憶しか残らない。
●「叱る」が効果を発揮する場面
かなり限定的だが、危機介入や抑止力として。
●「叱られないと成長しない」という神話
成長のために必要なのは、冒険モードの邪魔をしないこと。苦しみが成長につながるのは、それが自発的なものであるとき。叱られると防御モードに突入してしまうため、冒険モードの機会を奪ってしまう。
今回の読み直しで「冒険モード」というワードが引っかかりました。これは「自分が決めている」「自分でコントロールしている」という感覚です。「周囲と折り合いをつけつつも、自分が本当にやりたいことをやっている」という感覚で色々なことにトライしていきたいと思いました。久々に読み返しましたが、まだまだたくさんの学びが得られそうな本だと感じました!折に触れて読み返していきたいと思います。