本日,朝読書会オンラインを開催。課題図書は「学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか」です。私自身「なぜ退屈?」「なぜ大切?」の部分が気になって読み進めていました。皆さんの対話を聞いていると,「その視点があったか!」と気付かされることばかりです。以下は参加者の皆さんの読書会の感想となります。休日の朝早くからご参加いただいた皆さん,ありがとうございました❗️😊
●「子どもの周囲にいる(ある)さまざまな人物が学習のきっかけになる」=「社会化エージェント」 改めて、学校だけが学びの場ではない。
●色々な人から色々な意見をもらった方が得する!
●学習することが「退屈なこと」になってしまっては学校の目的がずれてしまうと思いました。学校で人と直接関わりながら学ぶことの楽しさを感じさせられる,授業づくり学級集団作りを目指します。
●学校の本質を再確認し、我々教員はどんな教育をしたいのか、子どもはどんな大人になりたいのか、考え直してみないと!と思いました!
●道徳教育のあり方
1.道徳的に生きるって?
・「善人が悪をなす」当人たちは、善意や正義感から…
・善と悪の対立に見えるが、実は「善意のぶつかり合い」
2.学校での道徳とは?
「道徳とはそもそも何か?」
→究極の道徳体系はない/根拠づける理論もない
社会に道徳は必要!→お互いの生活をより快適にするから
「道徳を教えよう」
→多元的な価値の尊重vs国が一律の道徳的な中身を決める
→どういう中身? 教えられるの?
●日常生活でないまなびでこの壁をのりこえれたら^^
●話しながら聴きながら、何が幸せかわからないって思いました。だから、自分が自分を幸せにできるということを子どもたちに先生方に伝えていきたいと思いました。
●お話をうかがい、読み直してみると、日頃考えている課題について指摘がされていました。夏休み中に職員室で話題にしようと思いました。
●こちらが与えすぎると、子どもは自ら学ばなくなる。学び方を学ぶためには与えすぎない(ある意味困らせる)ことが大事。
●生涯学習の大切さを実感します。学校の先生が学ぶ楽しさを味わったら学校はもっと楽しい場所になると思います。
●同じ本を読んでも気になる箇所は人それぞれ違う。学校の勉強も同じで、だから退屈でもあり、大切なのかと思いました。
●選択制や多様性を考えた時に,退屈な学校は淘汰されていくようになるかもしれません。学校でワクワクをつくることができるようになるといいなあと思いました。一方で「地域のなかの学校」の必要性も感じます。子供たちにとっての「学ぶこと」の意味をどう考えるとよいのだろうと考えました。
●教育は「人格の完成を目指す」って、何をもって完成なのか、議論してみたいですね
●「二極化」を生産する学校であってはいけないような気がしました。
●AI浸透で10年後どうなるでしょうね エリジウムのこりみよう^^